2013/02/18

帰納と演繹 医師と医薬品と患者,医療事故訴訟(更新20131228)


平日:
・・・

土曜:
・・・

日曜:
・・・勉強してると書くことがない.
ターバンの少女verウォーズマン完成(勉強はどうした

あたしゃ文章書くのがホント下手だなぁ・・・

プラクティス
帰納により拡大一般化してえられた結論を,「安易に」再び縮小特定化し適用させようとすると,問題が生まれる
 e.g.臨床統計により,ある数十の個体のある医薬品に対する効果から,個体全体のある医薬品に対する効果のエビデンスが得られたとする(帰納,統計,科学的手法).
その医薬品の効果が特定の個体に適用出来るかどうかは,特定の個体におけるその医薬品の効果が実証されていないため,「確定」まではしない.しかし,「確定する」と勘違いされることがある.
例えると「この薬の添付文書には効果がこう書いてあるから,「確定的に」「だれにでも」この効果がある」など.
 この勘違いは,薬の添付文書に書かれている効果は帰納により求められたものであって,特定の個体への実証がなされているわけではないことを理解していないこと,臨床統計は確定の証明をするためのものではないことを理解していないこと,帰納とその欠点を理解していないこと,から生まれる.
 帰納だけから「確定」はできない.実証が必要.だが,実証できる場合ばかりではない.例えば,医師が医薬品を処方する場合.「この医薬品をあなたに処方できるか確かめるために,事前にこの医薬品を飲んでみてください」とはいえまい.この場合は「確定」でなく「確度高く予想する」ことを目指す.帰納を理解すること,エビデンスレベルの評価をすること,医師レベルの知識を元にした経験的臨床的予測的多面的な評価をすること.これらを組み合わせると,個体への適用性を「確度高く予想する」ことができる.医師はその「予想」に基づき,特定の個体に医薬品を処方する.そしてその効果を確かめ初めて,特定の個体への効果が「実証」され適用性が「確定」する.
ちなみにその結果は市販後調査にまとめられ,再び医師の判断材料となる.また別途医薬品の作用メカニズムが解明され,これも医師の判断材料となる
(個体適用可能性には,効果と副作用双方を含む)
(医薬品の領分は年齢人種差など適度に区分けした最低限の一般化まで.医師の領分は特定の個体への適用.医薬品の作用メカニズム(個体適用可能性の基礎含む)の解明は・・・医薬メーカーと基礎研究医双方の領分かな?.)
(「エビデンスの高い証拠」が十分に揃った(かつ安全性が十分高いといえる)場合,その治療方法を標準医療と呼ぶことができる.)
(知識の集積により「個体への適用可能性」が十分に高くなった場合,その治療方法をオーダーメード医療(治療)と呼ぶことができる.)
(標準医療と代替医療の違いは,基本的に,個体適用可能性の予測の程度の違い.)
 換言すると,帰納により拡大された結論を再び縮小特定化し適用させるには,特定対象における実証が必要.実証後は実証された範囲で演繹につかえる.特定対象による実証ができなければ適用可否が確定しないが,多面的解釈により適用可能性の確度高い予想は可能.
・「学生諸君にとって大事なことは,いろいろな性質や過程の大きさのオーダーの感じをつかむことである.その感じをつかめば,もっと複雑な事象についても半定量的な考え方ができるようになる」(ムーア)



・基礎と臨床の間 http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2013/03/%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E3%81%A8%E8%87%A8%E5%BA%8A%E3%81%AE%E9%96%93.html
・ローマ法を継受したわが国の弁理士像 http://www.jpaa.or.jp/activity/publication/patent/patent-library/patent-lib/200710/jpaapatent200710_090-091.pdf




閑話・関話?
・判例解説●高松高裁2005年6月30日判決「適応外治療の説明不足」で説明義務違反!? http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/series/dispute/201302/528672.html

事実
・医師は,乳房温存療法を主に薦めているが,今回は乳房切除術が良いと判断した.
・医師は,乳房切除術の説明をしている.
・医師は,乳房切除術による結果の説明をしている.
・医師は,乳房温存療法の説明をしている.
・医師は,乳房温存療法による結果の説明をしている.
・医師は,セカンドオピニオンができることを伝えた.
・患者は別の医師が乳房温存療法を薦めていると聞き,それについて医師に意見を求めたが,医師は別の医師の評価が低いことから薦めなかった.
・「(手術)の後患者は、医師らは乳房温存療法などについて十分な説明をせず、自らの意思で治療方法を決定する機会を奪ったなどと主張し、慰謝料など合計1100万円の支払いを求めて提訴した(民事訴訟)」

事実まとめ
・医師は,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後を伝えている.
・患者は,「説明を受けた」が,「十分な説明を受けた」とは判断していない.

理論認定
・憲13「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(憲14~個別的権利・義務記載)
・民1「私権は、公共の福祉に適合しなければならない。2  権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。3  権利の濫用は、これを許さない。」
・民2「この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない。」
・「個人の生命身体精神および生活に関する利益は各人の人格に本質的なものである.このような人格権は何人もみだりにこれを侵害することは許されない(大阪高判昭50)」
・「人はいずれは死すべきものであり、その死に至るまでの生きざまは自ら決定できるといわなければならない(例えばいわゆる尊厳死を選択する自由は認められるべきである。)。)(東京高判平10平成9(ネ)1343 損害賠償請求事件@ )(最高判平12)」
・「医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない(医療法1条の2,1項)」

 「患者には,最適でない医療だとしてもそれを選ぶ自己決定権がある」
 「医師は患者に情報を伝える」
 ただし,
・「(医師は),具体的にかつ被質問者(患者)に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある(最高裁判決昭和51.9.3)」
・「医師は、診療したときは,本人またはその保護者に対し,療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない(医師法23)」
・「医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、第一条の二に規定する理念に基づき、医療を受ける者に対し、良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない。2  医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。(医療法1条の4,1項,2項)」
・「医師は,患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容手術に付随する危険性他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があると解される。~ここで問題とされている説明義務における説明は,患者が自らの身に行われようとする療法(術式)につき,その利害得失を理解した上で,当該療法(術式)を受けるか否かについて熟慮し,決断することを助けるために行われるものである。(最高判平13.11.27)」
・「一般的にいうならば,実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが,他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には,医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない。とはいえ,このような未確立の療法(術式)ではあっても,医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない.少なくとも,当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており,相当数の実施例があり,これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては,患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり,かつ,患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無,実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては,たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており,自らはそれを実施する意思を有していないときであっても,なお,患者に対して,医師の知っている範囲で,当該療法(術式)の内容,適応可能性やそれを受けた場合の利害得失,当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。(最高判平13.11.27)」

・インフォームド・コンセントは法的要件であり,医師は「最適な医療を提案」し,「最適でない医療も提示し患者の知る権利を満たし」,「予想される結果を伝える」必要があると考えられている.
・インフォームド・コンセントの成立要素は,患者の同意能力,医師の説明,患者の理解,患者の意思決定による同意


・インフォームド・コンセントの法源は,医療法1の4と最高裁判決(ヘルシンキ宣言は法源ではない)
・過失の法源は民709不法行為.
・不法行為の過失には2要素,1結果の予見可能性と,2結果の回避可能性がある.問題点として「誰を基準として注意義務の水準を考えるのか」という問題があり,抽象的過失(一般人を基準とした注意義務)または具体的過失(行為者当人の能力を基準とした注意義務)が問われる.

医療訴訟における法判断は次の2段階からなされるようだ.
1 インフォームド・コンセント=医師の「説明責任の過失」,患者の自己決定権?
2 医師の「実施した治療方法の過失」
つまり
・インフォームド・コンセントなし→医師の「説明責任の過失」あり→医師の「実施した治療方法の過失」なくとも,患者の自己決定権侵害で医師の違法行為認定
・インフォームド・コンセント一応あり→医師の患者に対する説明責任・説得責任が十分であったか→医師の「実施した治療方法の過失」があったか→医師の過失認定,もしくは患者の自己責任認定.

・インフォームド・コンセントが実施されたと認められなければ,黒.
・インフォームド・コンセントが実施されたと認められても,それが十分かどうか疑問があれば,灰色.
・インフォームド・コンセントが十分に実施されたと認められても,医師に実施した治療方法上の過失があれば,黒.
・インフォームド・コンセントが十分に実施されたと認められて,医師に実施した治療方法上の過失がなければ,白.

本案件では次が問われているようだ
・インフォームド・コンセントが実施されたと認められても,それが十分かどうか疑問があれば,灰色.
つまり,医師の「説明責任の過失」について(判決全文を入手できていないため未確定)

法解釈
・医師の「説明責任の過失」は,司法により次のように判断された.
・地裁:患者側の請求棄却
・高裁:患者側の控訴.患者側の請求認定.
「「生検結果などから本件の患者は乳房温存療法の適応である可能性は低かったものと認められるとしながらも、一審判決を覆し、医師側の説明義務違反を認定。大学およびA、Bに、連帯して240万円を原告に支払うよう命じた。」
「裁判所は、患者が乳房温存療法に強い関心を有していることを医師らが認識していたと推認。その上で、「乳房切除術および乳房温存療法のそれぞれの利害得失を理解した上でいずれを選択するかを熟慮し、決断することを助けるため、患者に対し、医師らの定めている乳房温存療法の適応基準を示した上、患者の場合はどの基準を満たさないために乳房温存療法の適応がないと判断したのか、という詳細な理由を説明することはもちろん、再発の危険性についても説明した上で、医師らからみれば適応外の症例でも乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在を教示すべき義務があったというべきである
「(医師は)乳房温存療法は適応外であり、乳房切除術によるべきであることを説明したにとどまり、乳房温存療法が適応外であることについての上記説示のような詳細な理由を説明したとは認められない」
 Bが患者に対し、がんセンターなどの名を挙げたことについては、「これは、乳房温存療法は適応外であり、乳房切除術によるべきこととした判断についてセカンドオピニオンを受けることのできる具体的な医療機関を教示したにとどまる」として、「Bからみれば適応外の症例でも乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在を教示したと認めることはできない」と判示した。
上告受理申立も却下され、判決は確定している」
(判例全文入手できなかったため引用

説明責任不足とみなされた点
(判決全文読まなければ定かで無いが)
・1医師は,「非浸潤性乳管癌の場合、一般に乳房切除術と乳房温存療法があり、自分は乳房温存療法を積極的に行っているが、患者の場合、広範囲の乳管内進展型で、マンモグラフィー上も乳房の中に癌がたくさん残っているので、乳房温存療法は適応外であり、乳房切除術によるべきであることを説明したほか、現時点では転移がないため、乳房切除術を行えば予後は良好であることなどを伝えた。」ものの,乳房温存療法は適応外である理由の説明が不足とみなされた.
→つまり,「患者が特別の関心を持っていた場合」には,「ガンの残存により(切除によりガンを取り出さなければならないため)乳房温存療法は難しい」と伝えた程度の説明では,患者が判断するのに十分な情報を提供したとはいえない.「患者が特別の関心を持っていた場合」には,「どの程度ガンが残存していたらどの医療を選ぶべきかという医師の判断基準を示し,ガンの残存がどういう結果を及ぼすかまで明確に提示するべき」であった.(でよいか)
・2医師は,「がんセンターなどの名を挙げた」が,これは「医療機関の名称や所在を教示した」とは認められず説明不足とみなされた.

私見1
・前提:患者には,それが効果がないとしても,その治療方法を選択する権利がある.治療選択の責任は基本的に患者にある.ただし,例外として,医師による十分な説明がなされていない,及び/または治療にミスが有った場合には,医師に責任がある.はずである.
・(判決全文読まなければ医師の主張と患者の主張が定かで無いが)
・1について:
この患者は治療方法に特別の関心を持っていたといえるため,より詳しい説明を受けていれば,より高い確証を持って治療方法を選択できたと期待されるということができ,医師の説明責任不足であることは認められる(通常の患者より高いレベルの基礎知識を(少なくとも将来的に)持つと予想でき(可能性があり?)たため,より詳しい説明をする必要があった)(インフォームド・コンセントにおいては,説明の不足が問われるのであり,それが最適な医療の選択に妨げになるかどうかは問われない)
ただし,この患者は,治療選択の回答期限までに,わからない事項に対し医師に質問し,理解に勤めることができたはずである.いや,治療方法に特別の関心があったからこそ,わからない事項に対し医師に質問をする義務があったというべきである.今回の場合,患者は,自ら自己決定権を放棄していたと言えないか(理解とは,供与者の説明と,受容者の理解・納得からなる,相互的なものであるはずである).もしそうなら,医師の説明責任を問うのは酷であろう.
また,もし,医師が「より詳しい説明」のことを,治療選択の回答期限までに患者が理解できると期待できない説明,もしくは「患者による「最適な治療選択」の妨げになる説明である」,と判断し,あえて説明を避けたというような特別な事情があるのであれば,医師の過失は軽かったとみなすべきであろう.(医師が「より詳しい説明」のことを,「患者による「最適な治療選択」の妨げになる説明である」,と判断し,あえて説明を避けた場合は,「医師の過失を認めない」と出来るかもしれない.)
・2について:
医師の説明責任不足であることは認められる.
ただし,がんセンターなどの名を聴いた患者が,その施設を探すのに困難性があったとは考えにくいため,患者は実質的に説明を受けたとしてしかるべきと考える.

私見1まとめ
・医師の説明責任不足を認めるとしても,患者が自己決定権を放棄した分の相殺をしてしかるべきと考える.そしてその相殺により,損害賠償額は相当量減らすべきであったと考える(判例全文が入手できていないので解らないが,実際にこの理屈で損害賠償額が減らされているのかもしれない.)

私見補足:医師の「実施した治療方法の過失」はどのように判断されるだろうか.
・「誰を基準として注意義務の水準を考えるのか」について.
医師当業者とするのが妥当だろう.その際参照されるものとしては,別の医師の意見(共通認識を持つ医師というものが存在するとして),ガイドライン,エビデンスであろう.
・1結果の予見可能性は,正しく判断され,適切な治療方法が選択されたと思われる.
・2結果の回避可能性は,正しく判断され,適切な治療方法が選択されたと思われる.
・医師の「実施した治療方法の過失」はなかっただろう.


疑問メモ
・「患者が自己決定権を十分行使しなかった分の相殺」は認められる余地があるものであろうか?
・民事では患者の感情を法に適用する方法がないように思える.患者の感情を法に適用する方法があるものであろうか.
・次の問題を解決できるだろうか.
多くの患者:医師から「複数の選択肢」を与えられ,それらが単に「重みをつけた予想」だと知らされ,それらについて「予想される結果」を知らされる.少なくとも不安に思う.聞いてもわからない.なのに選択を迫ってくる.
多くの医師:患者のことを考えた正当な倫理観に基づき説明と説得を行う.「予想される結果が重大」であった場合,「大きく重み付けされた予想」である標準医療へ誘導する.「予想される結果が軽度」であれば,誘導はしないかもしれない.
 患者はわからないので同意できない.医師はわかってもらえないので同意が得られない.結局患者はよくわからないままに,理解を擬制し,同意書にサインする.
 患者はよくわからないままに同意したため,悪い結果となった場合,後付で理由を見つけ,医師の説明が十分でなかったと不満を持つ.
 自己決定権と組織化の相殺が必要か?
・患者は,知りたい重要な事項について,解らなければ勉強し解るようになれば良い.しかし,それを義務付ける法はない(専門家には義務付けられていることもある・・・と思ったがみつからない.まあ教育について不法行為問われることがあってはならんか)(憲法26「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」).自己決定権と自己責任はこれについてどう考えるのか.
インフォームド・コンセントは,患者にとっては,知る権利を満たしてくれる反面曖昧さの中から決断を下さないといけない酷な制度であり,医師にとっては,困難な説明を問われるやはり酷な制度であると言える.インフォームド・コンセントは自立した個人においてのみまともに活用されうる.法の質が国民の質に左右されるように
インフォームド・コンセントにおいては,医師にも患者にも一定のレベルが求められる.理想通り実現可能であろうか.
・片務的である説明と,双務的である説得は,分けるべきである.医師に説明に加え説得まで義務付けられているようだが,それは酷ではないか
・インフォームド・コンセントでは「患者はわからない範囲内で判断するもの」を前提とするようだが,法判断にはそれは反映されていないのでは.説得が双務的である以上,医師に専門家責任を課すように,患者にも自己決定義務を課すべき.自己決定権を行使した場合には,どんな時でも,自己に一定の,免責のない自己決定責任を追わせるべき.説明においては医師のみに責任を負わせるのは良いが,納得・理解・同意においては医師と患者双方に等分の責任を負わせるべき.これは十分現行法の解釈の範囲内と出来ると思う.
・わからないからという理由で,自己に関係する事項の決定を他人に委ね,その決定の責任も相手に取らせる,ってのは,法的根拠があるのか.
・判例は,患者の「自己決定権における自己責任,自己決定義務」はあまり認めていないようだ(詳細確認必要).
(確認
権利は法により,または生まれながらに,個人に与えられる(いわゆる「権利」と「人権」).
「権利」は,個人が,国家や他人に対し主張するもの.「権利」を主張された他人には,権利が正当である場合,権利に対応する「義務」が生じる.権利は国家と個人との契約により生じるとみなされる.個人は権利の対価として,通常相対する別の義務を履行する必要がある.
人権は,生まれながらにして持つもの.人権により自由を行使する際には,責任が生じる.
権利と義務の対比,自由と責任の対比.
自己決定権が「権利」であれば,他の義務の履行による相殺.自己決定権が人権であり自由の行使であれば,自己責任による相殺.でよいか?.
 憲11「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
 憲12 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
 憲13 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 憲97「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
基本的人権は憲11,自己決定権は幸福追求権憲13から解釈されるはず.
基本的人権以外の人権がすべて幸福追求権として保障されるものと理解されている.
自己決定権に対し自己責任が成立する要件は,次のとおりとして良いか.
幸福追求権から求められる自己決定権を,あらたな人権であり,個人に行使する自由があると認めるのであれば
自己決定権行使において,自己責任が生じる.
しかし「正面から自己決定権を人権であると認めた判例はない」そうな.しかし司法の判断でどうとでもできそうでもあるな.もう少し考えよう)
・自由と責任の対比における法的根拠.憲13からは公共の福祉に反しない限り,自由は最大限に尊重される.定義としては「責任(せきにん、英: responsibility)とは、元々は何かに対して応答すること、応答する状態を意味しており、ある人の行為が本人が自由に選べる状態であり、これから起きるであろうことあるいはすでに起きたこと の原因が行為者にあると考えられる場合に、そのある人は、その行為自体や行為の結果に関して、法的な責任がある、または道徳的な責任がある、とされる。」(医師が自由に選べる状態であれば,医師に結果責任がある.患者が自由に選べる状態であれば,患者に結果責任がある.インフォームド・コンセントを受けている以上,自由を行使しているのは患者であり,医師は自由の行使自体には関与していない.よって患者に結果責任がある.医師にはこれと別に専門家責任があるので医師と患者で一部相殺,と考えて良いと思うのだが.
・最近,代替医療の範囲がインチキも含まれる程に広くなりすぎている.それについても説明義務がかされるのはたまらんと思う.説明義務のある医療についてのガイドラインが必要か?
・私法を成立させ妥当な権利行使できるようになるには,罰則なくとも法を守る意志と,個人の自立から生まれる自己責任の認識が必要だが,それがなされていないことに問題があるのではないか?.
・英米法を採用するアメリカでは,不法行為違反は精神的損害では認められないというように日本と法体系が異なるため,説明責任違反で訴訟になることはまずないそうだ.本当か?
・説明時の過失と,医師の治療方法選択における過失を,きっちり分けたいのだが,判例でどうなっているか調べておくこと
・医師は「予めすべての事実をしっていなければならない」かつ「答えが一義的にありえたはず」と.「予めすべての事実を知ること」「答えが一義的にありえたはず」はできない.医療は,帰納統計的予想と主観からなる曖昧なものだからだ.一部医学書に書かれるような基本的事項を除いて,治療の個体適用性において確定予想などありえない. 医療事故では,事実要件が曖昧になる分,後付が大きく問題と成りうる.実際の医療事故の判例において後付はどの程度問題か?
・「ある療法が最適と判断した時に,医師が同時に患者に説明すべき療法の一覧」はあるか?.これがないと,医師が説明責任を果たすのは非常に困難,と言わざるをえない.流石に治療法全て覚えておけというのは困難だろう.代替医療が採用されれば尚更.患者の求めがあった場合のみ代替医療を説明する必要がある,と限定されていればよいのだが.
・医師が「より詳しい説明」のことを,「患者の「最適な治療」選択の妨げになる説明である」,と判断し,あえて説明を避けた場合は,「医師の過失を認めない」と出来るかもしれない.調べること
・「そりゃ,聞き手は,「わかりやすい説明で騙して欲しい.そうすれば自分に責任はなくなる」,と考えているから,要約のわかりやすさ「のみ」求めるのさ.」


今のとこのまとめ
 医師の判断は,客観的統計予想と,主観的経験からなされる.客観的統計予想は十分であることは少なく,個体適用性は不明である.医師の主観的経験から個体適用性は判断されるが,医師の能力に左右される.個体への適用という医療行為は,医師の主観から離れることはない.
 医師は,予想と主観から治療を行う.
 いくら医師に専門家責任があるとはいえ,患者にも自己決定権がある.医師の説明責任を過剰に判断するのはどうか?.説明と納得の2つに分け,医師と患者双方に責任を分担すべきだろう.
 また治療に問題があっても,演繹による確定事項について間違をしたとまではいえない.不法行為の過失責任は,当時の医師の主観,認識を考慮に入れた上で,当業者の判断をベースとし判断されうるべきだろう.

 1「医師は,該医師が最適と信じる医療とその他選択できる医療を患者に説明した後,該医師が最適でないと信じる医療を患者が選択したとしても,それを妨げてはならない.」とし,「患者の自己決定権>医師の説明責任」さらに「医師は説得責任までは課されないこと」が明確になるように,法改正したらどうか.
 2「医師は,該医師が適当でないと信じる医療の実施を,強制されない.」とし,「患者が医師に対し無茶な要求をすること」「医師が,医師自身がよく理解していない医療を患者に適用すること」を避け,他院への転院を促せうように法改正したらどうか.ある医療が専門の医師以外においておこなわれては,医師患者とも不幸だろう.これ医師法に反してるとは思うけど.
 3「医師は,その治療に緊急性があり,かつその治療について説明を受けた患者がその治療に対し明らかな拒否をしておらず,かつ当業者にとりその治療が医療の結果においてあきらかに不適切であったと言えない場合,医療の結果について過失を問われない」と,緊急時の過失の判定基準が明確になるように法改正したらどうか.今までも緊急時は説明責任の例外とできえたようだが今ひとつ明確でない(患者の気管支動脈の走行異常のための検査において生検が不可欠となった事案につき、「患者から同意を得た施術を行う過程で、新たに緊急な必要性のあることが判明した検査であって、軽微な侵襲を伴う程度の検査を行うことは、それが本来の施術とは直接の関係が明かとはいえない場合であっても、事前に包括的な診療上の同意がある限り、特にあらためて個別の説明を行わないで、その検査を実施しても説明義務に違反するとまではいえない。(東京地裁平成3.7.25)」).緊急時以外はこれまで通り過失判定して大きく問題は無いものと思う.




良きサマリア人の法 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E3%81%8D%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%B3%95
は,立法化するとしたら医師適用出来るのかな?

 いまある治療ガイドラインは,添付文書の効果と同じ,確定していない帰納だ.これをより精密な,きちんと法的拘束力のあるガイドラインとし,適切な医療を順位づけする方法もある.まあ,ガイドライン絶対で個人への適用の実証不要とすることが可能であるなら,そもそも診断医いらんけど.

・診療ガイドラインと法的責任について
http://www.medicalonline.jp/pdf?file=hanrei_201103_01.pdf
・ガイドラインは医療訴訟に悪用される?
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t003/200804/506213.html
「「民事責任の確定のためであれば、可能な限り病気発生の機序等を確定しなければならない。そして、予防法・治療法の開発等の目的からすれば十分な証明があったとはいえない場合でも、民事責任の確定の目的からすれば、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信がもてるといえるような場合があるはずであって、このような意味において真実性の確信がもてる事実は民事責任確定のための前提事実とすべき」(平成9年度最高裁判所判例解説より)」
・判例に基づいた医療 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%8C%BB%E7%99%82
・医科学研究におけるインフォームド・コンセントの意義と役割
http://www.sci.tohoku.ac.jp/hondou/0826/img/yonemura-2.pdf
・医療事故弁護士法律相談センター  自己決定権の為の説明義務
http://www.avance-lpc.com/lecture/ml/23.html
国立保健医療科学院 患者の視点に立ったインフォームド・コンセント
http://www.niph.go.jp/entrance/pdf_file/chapter3.pdf
・ブログ 医師はどこまで説明義務を負うか
http://www.medical-law.jp/blog/?page_id=54

・国立国会図書館サーチ「自己責任 自己決定権」
http://iss.ndl.go.jp/books?any=%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%B2%AC%E4%BB%BB+%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%A8%A9&except_repository_nos[]=R100000038&except_repository_nos[]=R100000049&except_repository_nos[]=R100000073&op_id=1&display=&ar=4e1f&

自己決定権の論点 アメリカにおける議論を手がかりとして 国立国会図書館情報誌レファレンス
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200605_664/066406.pdf
・・自己決定権は,日本法で明文化されていない.自己決定権は学説から解釈されており,法源は憲法
・・「日本の判例・通説によれば、 「明文なき権利」は、 憲法第13条後段の 「生命、 自由及び幸福追求に対する権利」、 いわゆる幸福追求権により保障されると解されているが、 初期はそのような解釈はとられていなかった。」
・・「現在の通説は、 「公共の福祉」 について前述の危険性を回避する巧みな解釈をとることで(59)、第13条を法的規定と解している。 そして第13条後段の幸福追求権の法的性格を、 第14条以下の個別的権利を包摂するとともに、 それ自体、 独自の具体的権利を規定する包括的基本権として、「明文なき権利」 の根拠と解しているのである(実定的権利保障規定説)。もっとも、 一般法と特別法の関係のように、第14条以下の個別的権利については個別の条文によって保障されるから、 第13条後段の幸福追求権は、 個別の条文によって保障されないもの、すなわち 「明文なき権利」 を補充的に保障するものと解されている(60)。」
・・「広義のプライバシー権のもう片方である自己決定権については、 後述するように、 いまだ正面から承認されていないのであり、 自己決定権が 「明文なき権利」 のいわば主役であるアメリカの判例と大きく異なる。 その理由の一つは、 日本ではアメリカと異なり、 自己決定権の典型ではなく、 自己決定権に属するかどうか、 まさに争いのある事柄に関して争われたことにある。」
・・「興味深いことに自己決定権は、 アメリカにおいても日本においても、 憲法の明文がないにもかかわらず、 憲法の解釈により憲法上の権利として承認されている。 しかしそれは、 憲法の有する動態的な性質のみによって可能になったわけではない。 そもそも、 政治哲学の次元で、 政府は個人を道徳的人格、 すなわち自律的存在として等しく扱わなければならないことが要求されるのであり、 近代立憲主義は、 この政治道徳的原理にコミットしていると考えられるのである(101)。」
・・「人格的利益説は幸福追求権を「人格的生存に不可欠な利益」を保障したものと解し、その保障範囲を限定する。~13条後段の幸福追求権を、第13条前段の「個人の尊重」と一体的に解する~13条前段は,政府が個人を「道徳的人格」、すなわち「自律」的存在として尊重することを規定しているものと解する。~「切り札」としての権利.」「(一般的行為自由説)は幸福追求権を、一般的行為の自由を保障したものと解し、その保障範囲を基本的に限定しない~この学説は、「明文なき権利」の承認にあたり懸念された「人権のインフレ化」を深刻化する。」(人格的利益説では責任を問えないかもしれんのう)
・・「幸福追求権の性格に関する学説の対立は、「明文なき権利」の一つである自己決定権の保障範囲に、そのまま反映される。」
・・「自己決定権に属するとして議論されるものは、次の四つに整理されうる。①リプロダクションに関する決定(断種、避妊、中絶など)、②生命・身体の処分に関する決定(医療拒否、尊厳死、積極的安楽死など(71))、③家族の形成・維持に関する決定(結婚、離婚など)、④ライフ・スタイル(外見、趣味など) に関する決定である(72)。しかし、これらすべてが自己決定権として保障されるかどうかは、解釈の分かれるところである」「一般的行為自由説によれば、①から④すべてが基本的に自己決定権として保障される。もっとも、だからといって、規制が許されないわけではない。これに対し、人格的利益説によれば、原則として、①②③は「人格的生存に不可欠な利益」とされ、自己決定権として保障されるが、④は不可欠とはいえないとされ、自己決定権としては保障されない。」
・・「治療義務の限界については、医師が可能な限りの適切な治療を尽くし医学的に有効な治療が限界に達している状況に至れば、患者が望んでいる場合であっても、それが医学的にみて有害あるいは意味がないと判断される治療については、医師においてその治療を続ける義務、あるいは、それを行う義務は法的にはないというべきであり・・・」
・義務
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%99
・自己決定権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%A8%A9
・・「自己決定権は権利か [編集]
自己決定権を憲法から導き出そうとすれば、それは日本国憲法で言えば第13条の幸福追求権から導き出せるものであり、文言からすれば「公共の福祉に反しない」限りにおいて尊重される。しかしながら、ある特定の行為を自己決定権として裁判で明言することは、そのことについて権利としての先例を作ることになり、司法の側には困難が伴う。現時点で、自己決定権を正面から認める最高裁判所判例は存在しないとされる。肖像権や環境権と同じ性質の権利であり、人々の生活水準が向上した結果、「その他もろもろの権利」に当たる幸福追求権のカタログが分厚くなって、自己決定権が言われるようになったとも指摘される。国際人権規約(自由権規約、社会権規約)の各第1部第1条には集団的決定権としての民族自決(self-determnation)が明記されているが、心理学の自己決定理論(Self-determination theory)やジョグジャカルタ原則第3原則ではこの(self-determination)が個人の決定権の意味で用いれている。障害者権利条約第3条a項では「自分自身で決める権利」も含めた自己決定権(autonomy)が保障されるに到る。」
・自己責任
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AC%E4%BB%BB#.E8.87.AA.E5.B7.B1.E8.B2.AC.E4.BB.BB
「自己責任」の社会と行政法(元最高裁判所判事)
http://www.law.tohoku.ac.jp/~fujita/gakuinkoen.html
・・「「自由かつ自律的な社会」を成り立たせ、支えるものこそが、「自己責任原則」なのであって、それはすなわち、自己のことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う、という原則であるに他ならない。」
・・「しかし、この一見した民主性は、実は他面で、大勢に対し個人が正面切って異論を述べる事態があり得ることを前提ないし想定しないものであり、その意味において西欧流の民主主義とは大いに異なり、また、一見した社会(主義)性は、そういった利益の配分が、専ら、特定の集団内部限りでの配分としてのみ考えられ、集団外の者に対しては、むしろ徹底的な差別を以てすら臨むことを許すものである点において、西欧流の博愛・平等の精神とは、これまた大いに異なるものであった。」(かなり同意するところは多い)
・「meigenbot あらかじめ死を考えておくことは、自由を考えることである。 (仏思想家 Michel de Montaigne) http://amzn.to/kQCNxH」
・カント「啓蒙について」
「啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることである。ところでこの状態は、人間がみずから招いたものであるから、彼自身にその責めがある」「「未成年状態」にとどまってる原因は自分の悟性を使用しようとする決意と勇気を欠いているからである」

・「本当に」医者に殺されない47の心得 [心得30] 本当は怖い、患者中心の医療 http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2013/07/%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E5%8C%BB%E8%80%85%E3%81%AB%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8447%E3%81%AE%E5%BF%83%E5%BE%97-%E5%BF%83%E5%BE%9730-%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AF%E6%80%96%E3%81%84%E6%82%A3%E8%80%85%E4%B8%AD%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%8C%BB%E7%99%82.html (患者自己決定の前提,その自由を行使したことにおける患者の自己責任の認定.その上で救済も認定.中庸.パターナリズムの否定.誰が中心かは明確にしておかないと訴訟において責任が明確になりにくいとは思うけど,まあ訴訟ごとに個別総合判定しても良いとは思う.)
・「本当に」医者に殺されない47の心得 [心得39] リビング・ウィルをどう考えるか。パラダイムシフトの可能性について http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2013/07/%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E5%8C%BB%E8%80%85%E3%81%AB%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8447%E3%81%AE%E5%BF%83%E5%BE%97-%E5%BF%83%E5%BE%9739-%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%92%E3%81%A9%E3%81%86%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%88%E3%81%AE.html

・医療崩壊を招きかねない医療安全事故調査委員会(事故調) http://huff.to/1imR7ML


・インフォームド・コンセントの考え方は,
医療に社会保険が関与していない(いなかった)アメリカではピタリと当てはまるが,
医療に社会保険が関与している日本では,ちょっと考えどころかもしれない.
社会保障が関与しているのならば,患者個人の選択の自由はある程度調整されてしかるべき,だからだ.
とはいえ,医療は個人の生命に関わることであるので,一般には,個人の自由を最大限に尊重すべき,ともいえる.

生命に重大
→個人の自由尊重((エビデンスのない)医療の選択,(エビデンスのない)薬の要求など)→助かる命も助からなくなる可能性:生命に重大だからこそ医師が誘導すべきという意見(過去の一般的考え方).いや個人には自殺の権利もあるので医師は専門家としての公平で合理的な説明をするだけで十分でありそれ以上するべきでないという意見(これに理解されることを足せばインフォームド・コンセント).患者がリスクの大きな選択をした時「のみ」強く誘導するという現実的な施行.:患者の理解力により結果が異なる.患者はその選択が自殺行為と認識できたか.
(患者がした自殺行為の選択の責任は,基本的には患者にあり,副次的に専門家としての高い責任が医者にある.どちらがより大きな自由を行使したといえるか)

生命に重大でない
→ 社会による個人の自由調整(患者が求めても,医師が一般論として不要と判断する薬は供給しない,など)→医師の誘導優先:自由を行使できない患者の不満.医師の選択責任増大.

うむう?.なにかおかしい.
生命に重大でない医療を設定することが問題か?

インフォームド・コンセントは,医師にも患者にも厳しいのう.
自由基準の考え方は,常に厳しいものだが.
他人の奴隷でなく個人的な人間としてありたいのであれば,自由基準の考え方を採らなければならないが,厳しいのう.


・患者中心の情報管理とそれを可能にする新しいインフォームドコンセント
https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/57/1/57_3/_pdf