2013/12/08

人権週間

平日:
土曜:
水源,水源東,ラン1km.
水源東,ちと苦しい.
ラン,軽々.

日曜:
GT6が届いてしまったので,PS3,ハンコン,ロードスターの座席,そして背面刳り抜いたカラーボックス,を引っ張り出し,試遊台組み上げ試走.
いやー,こりゃすごい.生々しい挙動.
新しいタイヤモデルが効いているのだろうな多分.
低速度でも実車感覚に近くなった.
http://www.gran-turismo.com/jp/products/gt6/technology/#new

しばらく楽しんだ後,実車で出かけた.
感覚混同.
低速度の感覚が実車に近くなったせいだな.いや,危ないわこれ.
GT5まではそんなことなかったのに.





・人権週間 20140101更新
プラクティス
・人権シンポジウムin 東京 http://www.yomiuri.co.jp/adv/jinken/
道徳倫理と人権を「混ぜて」しまう意味がわからない.
大前提:人権,前提:道徳倫理,議論:実現方法,と分け,「個別議論」しなければ,何の議論だか全くわからなくなり,結局個人の見識の違い,として,誰も注意を向けない結果になるのではないか? 

・法務省 第65回 人権週間  12月4日(水)~10日(火) http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken03.html
「本年度の「第65回人権週間」では,啓発活動重点目標「みんなで築こう 人権の世紀 ~考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心~」を始め,17の強調事項を掲げ,啓発活動を展開することとしています。」
思いやりと人権は必ずしも直接対立するものではないが、人権週間のコマーシャルにおいて,「思いやり」を前面に持ってくるのは違和感がある.
人権自体に思いやりの概念は含まれていない?し,含めるべきでない.
人権は,全体主義から個人を離別保護するために,確立された概念である.全体主義につながる思いやりを,人権より優先させた場合,人権はその効力を失ってしまう.
そうしようと主張しているように読める.
まあ,あたしゃ「日本は人権を必要としていないのではないか論者」なので,まあそうするつもりなのかな,とも思ったりもする.

合理的に考えれば多分,人権の行使時に?思いやりを考慮べき,という主張なのだろう.
ただ,人権感覚がないものに,「思いやり」を前面に出し提示してしまえば,「人権」より「おもいやり」優先,と受け取られてしまうのも仕方ないと思う.

・平成25年度啓発活動重点目標 http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken134.html
「しかし,いまだに,物質的な豊かさの追求に重きを置き,心の豊かさが大切にされない風潮,あるいは,他人への思いやりの心が希薄で,自己の権利のみを主張する傾向が見受けられ,このような状況が様々な人権侵害を発生させる大きな要因の一つとなっています。」
うむう・・・これはいいのか?.
耳障りは良いが,「人権自体」と「個々人権衝突時の調整」を,混ぜているように読める.
人権衝突がおきる.この問題を解決するために,思いやりという名目で,人権自体を制限しよう(調整でなく制限),とも読めてしまうのだが.
(まあ,権利濫用による人権侵害を防ぐために,思いやり基準の権利行使(人権以外の権利の行使?)をしましょう,それが人権を守るってことですよ,という主旨だと思うが,「自己の権利」の解釈次第で読めることは読める.)
人権衝突時の調整は,司法が法に基づき行うものである.それを「思いやり」で実現せよ?という(意味ならば)ことは,法治を放棄するという意味となる.つまり,法のもとの平等を放棄し,結局人権も放棄することになる.
(あれ?.前記と同じこと繰り返しただけになってしまった.)
(譲っても,権利「主張」を問題視する,のは問題では?.権利「行使→濫用」を問題視するのは良いと思うが.権利を主張しないものに権利を与えないっていうのは法の大原則ではなかったか?.エクイティだけだっけ?.しかし時効は認められているからなぁ?.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%88%E6%80%A0_(%E6%B3%95%E5%AD%A6)#.E6.A8.A9.E5.88.A9.E3.81.AE.E8.A1.8C.E4.BD.BF.E3.81.AE.E6.87.88.E6.80.A0 おや?誤解してたか?.一般的に,主張により時効起算日は更新されるから・・・)

「我が国においては,法務省と全国人権擁護委員連合会が,同宣言が採択されたことを記念して,1949年(昭和24年)から毎年12月10日を最終日とする1週間(12月4日から同月10日まで)を,「人権週間」と定めており,その期間中,各関係機関及び団体の協力の下,世界人権宣言の趣旨及びその重要性を広く国民に訴えかけるとともに,人権尊重思想の普及高揚を図るため,全国各地においてシンポジウム,講演会,座談会,映画会等を開催するほか,テレビ・ラジオなど各種のマスメディアを利用した集中的な啓発活動を行っています。」
プラクティス.
1 世界人権宣言には「思いやり最優先」と書かれているのだろうか?
2 世界人権宣言には「思いやりにより人権を制限して良い」と書かれているのだろうか?
・外務省 世界人権宣言(仮訳文) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
「前  文
 人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、
 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
 人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので、
 諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、
 国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、
 加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、
 これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、
 よって、ここに、国際連合総会は、
 社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。
第一条
 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第七条
 すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。」
「おもいやり」について書かれている.
しかし,
1 「最優先」とは書かれていない.
2 同胞の精神は「行動」と表現されている.
1,2 宣言は,「人権の存在を前提とし」「人権を持つものが主体的に,同胞の精神をもって,権利(人権含む?)を行使すべき」と読むべきであろう
客体から判断される「思いやり」により「人権を制限して良い」,と解釈することは,難しい.
法務省の記載は,この辺り明確になるようにちと見なおしたほうが良いのでは?

人権宣言には平等の概念が入っている.
自由と平等は対立しうる.どちらかを優先させる必要がある.
自由=個人的,平等=全体的.
一般的に,自由は多様性を促進(維持?)し将来の硬直死を防ぎ,平等は多様性を阻害(制限?)し現在の運用を維持する(社会が必要とする単一性を促進する.平等≒ルール,法).
宣言において,自由は,生れながらにして自由,とされ,限定されない.
宣言において,平等は,尊厳と権利とについて平等,法のもとにおいて平等,とされ,限定される(議論があるところだが)(日本は,結果平等(実質平等,公共の福祉として実践)概念が強い傾向にある憲法を持つが自由より強いわけではない.アメリカは,自由が強く平等は機会平等に限定されうる憲法を持つ(いわゆるフェアとしての平等.実質平等ではないため,例えば国民健康保険制度設立が難しかったりする).世界的には,自由は(実効性がないことがあるが)基本的概念と合意されうるが,平等は基本的概念とされていないことがある.国際司法裁判所?でも,平等の概念は,当事者相互が認めるときのみ,考慮されうる.無条件な平等を認める国は一つもない.「憲法と国際法(特に、人権の国際的保障)」 に関する基礎的資料 2004.4 http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi050.pdf/$File/shukenshi050.pdf.『第三世代の人権』.)(エンデ.自由=精神・文化.平等=法律・政治.友愛=経済)
優先順位は,前提:自由,自由行使時の調整:平等.
似た置換えをすると,
前提:人権,人権行使時の調整:同胞の精神≒おもいやり
だ.
優先順位が非常に重要

やはり,
「大前提:人権,前提:道徳倫理,議論:実現方法(衝突時調整など),と分け個別議論しなければ,何の議論だか全くわからなくなり,結局個人の見識の違い,として誰も注意を向けない結果になるのではないか?.」

・「日本の人権は危機に晒されている」 国際人権NGO事務局長が語る「課題」とは? http://www.bengo4.com/topics/1028/?via=twitter
前提として全体主義を採る日本の文化と,前提として個人主義を採る人権は,感覚的に相容れないのだろうと思う(http://kz31.blogspot.jp/2013/02/blog-post_22.html
日本が遅れているとかそういう問題でなく,日本の私権感覚は,国際的な人権感覚と一致させることができない,という方が正しいと思う.
しかしねぇ.他はともかく,人権ばかりは世界と揃えざるをえないからうむう.
感覚的に相容れない,しかしやらねばならない.のであれば,論理的に結合できればよいのだが.

法務省は,思いやり云々の前に,きちんと人権の意義をアピールをし,それを日本の感覚にそうようにするためにはどうしたら良いか考え,それもアピールしたほうが良いと思うのだが.
現段階で,思いやりを前面に出す手法は,完全に間違いと思うのであった.


・インドの女性苦しめる家庭の伝統―重圧に押しつぶされた女性警官 http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303674004579263433214927814.html?mod=trending_now_5
日本において思いやりは,全体主義が生んだ社会的慣習である.インドではこれが社会的慣習である.社会的慣習を優先させた例.
思いやりとこれは違う,倫理の問題,と思うかもしれないが,全体主義から生まれ,文化の差という意味では同じ.そしてその文化の中で倫理は成立しているので,一般に,倫理に第三者効はない.倫理に絶対的な基準など無い.
その文化内にいるものは,文化差による問題に気づくことが難しい.そのために,絶対的基準となるように人権がある.
社会的,倫理的制限は,一見良いことに思えようが,それにより人権を制限するのは,問題がある.

倫理,思いやりは,どんな社会にも通用する絶対的な本質とはいえない.
これらは,文化,人により具体実施が異なる.
結局,個々人の偏見と主観に帰されるもの.
そんなものにより,絶対的基準となる人権を,個人を制限してはいけない.ならない.
許されるのは,妥当な調整まで.

人は,自由と責任により自立して,初めて,相互依存の道をたどることができる.
自立なしに依存からスタートした関係は,依存者の責任が曖昧になり,たやすく全体主義に転換される.
日本では,歴史的に上は優秀であり,下はその優秀さを尊重し依存していた.からこそ,全体主義でも比較的うまく社会が働いてきた.
(不思議なことに,西洋とも日本文化の基である中国とも異なり,日本では上も全体主義の影響を受けていた.そのため全体を生かすために上は優秀である義務を果たさなければならなかった.摂関以来,上に対する上が設定され続けていたからか?.上に,自分がもっとも上ではなく,さらに現在の地位は暫定である自覚があったからか?)
現在の多くの社会的問題について,
上が無能になったことが問題発生の原因というよりも,下が「自分たちが無能だ」という「認識」を失ったことが問題発生の原因と考えている.(下が無能であるということではない.認識の問題.実力よりも低いという認識から,実力よりも高いという認識への変化といったほうが良いかもしれない.)
啓蒙.無知の知を失わせる教育.(無知の知は,一部の人間にとっては啓蒙へとつながる.多くの人間にとっては無能感へつながる)(個人的には,人全てに無知の知は必須だが,人全てに啓蒙は必ずしも必要ないと考えている.啓蒙をうまくつかえる人は少なく,それは選民思想につながり,2次戦の思想につながったから.まあ啓蒙の概念も大きく変化しているが.1次戦前:封建からの自由の開放.1次戦後:啓蒙による選民と自由の拡大,無能の否定.2次戦後:全体による自由の調整,無能の許容.近年:無能の優勢,全体主義の拡大.未来:揺り戻しとして,ある程度全体主義の縮小が起きる?)
専門家責任を重くしすぎたため,下は自分たちに原則的に責任があるという認識を持てなかった?.強者である上への責任転化を規定しすぎたため,自分たちが無能だという認識を失った?.
下が「自分たちが無能だ」という認識を失うと,「全体主義は」うまく働かなくなる.
(フランス革命の一因は,啓蒙にあったと考えがあるhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%93%E8%92%99%E6%80%9D%E6%83%B3.研究もhttp://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kyodokenkyu/research10.htm
いまさら,下に「自分たちが無能だ」という認識を持たせることはできない.全体主義であったこれまでの社会を,認識に依存しない人権ベースに移行させなければならない.
現在,それが必要となっている.
人権ベースでは,社会的思いやりによる自由の制限は,否定される.
人権ベースでは,個人の自立を前提として初めて,相互依存という「思いやり」が可能となる.
個人が自立していない現在は,思いやりを第一義として主張すべきでない.
よって,
「法務省は,思いやり云々の前に,きちんと人権の意義をアピールをし,それを日本の感覚にそうようにするためにはどうしたら良いか考え,それもアピールしたほうが良いと思うのだが.
現段階で,思いやりを前面に出す手法は,完全に間違いと思うのであった.」

方向性について.
全体主義においては,上が優秀であることが,より正しい道?を進むのにに必要な条件であった.(思いやりに,より正しい道を選択させる効果はない.)
人権ベースでは,上の優秀さのみに,より正しい道選択の責任を求めることができなくなる.様々な意見がある個々人を,その自由を認めた上で,ある一定方向に向けさせる必要がある.
自由行使に伴い派生する「責任」は,選択の「自由」を「より正しい道」に「方向づける」一強制力,と思っている
非全体主義において,自由と責任を切り離すと,集団の運営は破綻する
(社長独裁では全体主義を取ると良い.下に自由も責任も与える必要はない.責任を曖昧にし思いやりベースで管理すれば管理しやすい.上が優秀であれば,非常に優しい環境.
会社共和では自由と責任をきちんと定め,責任回避を認めてはならない.思いやりは必須ではない.個々人が優秀でなければならず,非常に厳しい環境.
現実の会社はそれら歪なミックス?.社長独裁で下に責任を取らせ思いやりベースでない厳しい環境,会社共和で責任を曖昧にし思いやりベースとしてしまう優しい環境.これらミックスはうまく働いていないように見える.)


・蝕まれ出した愛情に限って、ことさらわざとらしい儀礼を見せはじめるのだ。 (Shakespeare)
・「質問です。あなたにとって完璧な世の中とは、どんな世の中?」興味深い回答いろいろ http://labaq.com/archives/51813396.html


・人間の脳は証拠に基づく論理を自然には形成しないようにできている.データ不足でもそれを認めず判断してしまうなど,バイアスを受けるようにできている.
人間は,論理的思考の訓練を受けないと,バイアスの制限ができず,選択の自由を正しい道に方向づけることができない.直接民主制が成功した試しがないのはこのためでもあるだろうと思っている.
啓蒙の重要性.無知の知について.




平日:
土曜:
日曜:
運動せず.

金を儲けることは悪ではない.血液の循環にも等しい必要なもの.
金を貯めこむことは悪.誰の役にも立たない.えてして,その本人の役にも.
持てる以上を得ることはさほど問題ないが,持てる以上を持ち続けることは問題である.

平日:
土曜:
路面が濡れていたためラン.久し振りに7km.
倒れないようにしっかりとアップ.
インターバル1分3回.
日曜:
月曜:

・Richard Gonzalez of AbbVie, and Daniel Welch of InterMune: Drop your legal action blocking access to EMA clinical trial data
http://www.change.org/petitions/richard-gonzalez-of-abbvie-and-daniel-welch-of-intermune-drop-your-legal-action-blocking-access-to-ema-clinical-trial-data

The cases are: T-29/13 Pending Case, AbbVie v. EMA, T-44/13 Pending Case, AbbVie v. EMA, T-73/13 Pending Case, InterMune UK and others v. EMA.
http://curia.europa.eu/juris/liste.jsf?pro=&lgrec=en&nat=or&oqp=&dates=&lg=&language=en&jur=C%2CT%2CF&cit=none%252CC%252CCJ%252CR%252C2008E%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252Ctrue%252Cfalse%252Cfalse&num=T-29%252F13&td=ALL&pcs=Oor&avg=&page=1&mat=or&jge=&for=&cid=228094
http://curia.europa.eu/juris/liste.jsf?pro=&lgrec=en&nat=or&oqp=&dates=&lg=&language=en&jur=C%2CT%2CF&cit=none%252CC%252CCJ%252CR%252C2008E%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252Ctrue%252Cfalse%252Cfalse&num=T-44%252F13&td=ALL&pcs=Oor&avg=&page=1&mat=or&jge=&for=&cid=228126
http://curia.europa.eu/juris/liste.jsf?pro=&lgrec=en&nat=or&oqp=&dates=&lg=&language=en&jur=C%2CT%2CF&cit=none%252CC%252CCJ%252CR%252C2008E%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252C%252Ctrue%252Cfalse%252Cfalse&num=T-73%252F13&td=ALL&pcs=Oor&avg=&page=1&mat=or&jge=&for=&cid=228155