2015/08/20

オリンピックロゴ(五輪エンブレム) 盗作疑惑の争点 ロゴデザインとはなにかと法 (20150928更新)

プラクティス
随時修正.
(参考 五輪をイメージさせる言葉の規制について http://kz31.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html


事実関係
発端ニュース
・似てる?東京五輪エンブレム
http://www.asahi.com/articles/ASH7Y636HH7YUTQP034.html

問題のオリンピックロゴ
画像はニュース参照.
商標出願はしているはず.

問題のベルギーロゴ
画像はニュース参照.
商標登録されていない.
著作権があると仮定して*、権利が認められるといえうるデザイン表現の要部は、全体の配置、下のLiege等表記部分、影と抜きの構成、大きさのバランス、丸で外縁を形成させたこと、ぐらい.
その要部は、翻案を考慮しても,オリンピックロゴに類似しないといえる(過去事例調査の上、もう少し詳細に検討する必要あり)。
(*ロゴは著作権上の応用美術に分類される。応用美術は、日本では基本的に著作権があると認められないが,独仏伊では著作権があると認められる.ベルギーに関しては自分に知識がない(ベネルクス関連で何かあった気がするのであとで調べる).
日本に著作権があると認められる例外があり(応用美術でもデザインロゴは著作権が認められることがある)、ベルギーではわからないため、ベルギーロゴに著作権がある,と仮定しておく(ベルヌ条約により日本法が適用されるはずだが))

オリンピックロゴとベルギーロゴを比較し表現が類似しているといえるのは,フォントと,フォントの重ねあわせ手法.
フォントは公知公用のものであり,フォントの重ね合わせ自体は一般的なデザイン手法でありそも表現でなくアイディアである.これらはパブリックの部分といえる。



争点
0    前提
A 商標権
A-2 意匠権
B 著作権
B-2 盗作
C 不正競争防止法関連
D 慣習

0 前提
独占は基本的に禁止されている。
例外として、物権としての所有権、商標、著作権など、特定の権利があると言えるときのみ、条件限定された独占が許容される。

パブリックと模倣、デザインと芸術
パブリックのものは,人類の共有財産であり,誰も権利独占を主張できない.
技術、文化は、過去のパブリックのものを継承し発展する。タイヤが存在しなければ今の乗用車が存在できないように、遠近法がなければ写実絵画はあり得ないように。
すべて1からの全く新しいものしか許されないのであれば、技術や文化は存在できない。
新しいといえる発展であれば、より評価されうる。しかし、継承なく単に新しいだけものは、完全な革新か、独りよがりか、どちらかになろうそしてそれは他人から理解されないものとしかならない。
ロゴデザインは他人に見せてなんぼであり、完全な革新や独りよがりであるべきでない。
ロゴデザインは、理解されるべき技術工学、文化であるべきであり、理解される必要のない革新芸術であるべきではない。
つまり、ロゴデザインには、適度にパブリックからの継承、技術、文化の尊重と継承、があって、しかるべきである。パブリックと「適度に」類似してしかるべきである。

ココ・シャネルはこういったと言われる.
「真似されないようでは本当の優れたデザインじゃない」
その意は,自分のデザインを,文化そのものにしろ,ってこった.
もちろん正当な権利期間が切れてからでないと真似しちゃアカン.正当な権利期間が切れてからなら,真似されることは,デザイナーにとっての名誉だ.そのデザインが文化、パブリックのもの、として生きることになったのだから.

(日本の著作権は、革新表現と芸術表現に権利を与える、工業デザインは意匠法で保護してもらえ利益に関する部分につき自動的に権利がもらえると思うなばかもん、との考え方が強く、ゆえに前述のような、工学的応用の性質の強い応用美術には基本的に著作権が与えられない。一方、工学的応用でも著作権を与えるべきだとする国もある。イノベーションの概念の閾値の差が理由と言えようか?)
(なお、商標は出所を表すためのものなので、他の商標と見分けられる程度の独自性さえあればよい。上記パブリックからの継承による発展との考え方は採用されない。)


A 商標権
商標権は、審査後の登録を権利効力発生要件とする。登録された商標は、登録商標と呼ばれる。権利の効力は登録商標全体にあり、登録商標全体を独占できる。独占の効果として、指定商品役務において、実質的には誤認可能性のある(信用を害するともいう)類似を排除できる。権利期間は10年だが更新により実質的に永遠に権利を保有できる(国により異なる).

ベルギーロゴは商標登録出願されておらず,登録商標はない.日本においても他国においても.
よって,ベルギーロゴに商標に基づく独占を認める必要はない.
(ベルギーロゴに商標権が存在していた場合には、オリンピックロゴはベルギーロゴの商標権侵害とされ得ただろう。商標の視点から見ると、類似するといえる。著作権の視点から見ると、類似しないといえる。ここが理解されにくい部分か。)

A-2 意匠権
意匠権は、審査後の登録を権利効力発生要件とする。権利の効力は意匠と類似の範囲にある。独占の効果として、物品と外観形態が類似した意匠を排除できる。権利期間は20年(国により異なる).利益を得たければ権利期間内にあげよそのあとはパブリックに引き渡せとの考え方をとる。物品でなければならない。

ベルギーロゴは意匠出願されていない.ようだ.
まあロゴデザインを権利期間の短い意匠権のみで保護しようというものはあまりいない.また、物品と結びつけるのも難しいため妥当か。

B 著作権
著作権は条約下において、創作を権利発生要件とする。権利の効力からパブリックな表現は除かれる運用がなされる(この点が商標権と大きく異なる)。パブリック部分を除いた創作類似の表現につき、複製権など特定の限られた権利を独占できる。翻案という概念があり例えばアルファベットの違い程度の表現の違いは権利範囲に含まれうる(ここも特徴的)。権利期間は算定基準日は様々だが50年間(国により異なる).利益を得たければ権利期間内にあげよそのあとはパブリックに引き渡せとの考え方をとる。

著作権侵害は,侵害物が著作物に依拠しており,かつパブリックを除いた表現が類似した場合に認められる(ベルギーのでも).
ベルギーロゴの著作権として認められる範囲は前述のとおり.権利が認められるといえうるデザインの要部は、オリンピックロゴと類似しない.
オリンピックロゴはベルギーロゴに依拠したかもしれないが,その証拠はない.デザイナーはベルギーロゴを知り得たかもしれないが、オリンピックロゴとベルギーロゴは同一とまでは言えず、ベルギーロゴにオリンピックロゴデザイナーからみて著名性も周知性もあるといえない。
依拠は証明されておらず,類似は否定される.そも前記通り、ベルギーロゴに著作権が発生しているかどうかにも疑問がある。
以上より、オリンピックロゴがベルギーロゴの著作権を侵害するとはいえない.
ベルギーロゴに、オリンピックロゴを侵害とみなすほどの、著作権に基づく独占を認めることはできない.

(別々に述べた意見を,適当に順不同に貼り付けた.後ほどつながるよう書き直す.

妥当に過去のものを使うために、著作権は存在している。
過去の真似をしてよいことを前提として、限定的に近年現れた斬新な表現については一定期間の権利を認めましょう、って言うのが著作権だ。

鳥獣戯画の蛙の絵はパブリックのものであり誰も権利を持っていない。
鳥獣戯画の蛙の絵のコピーを自分のデザインと言うなら盗作。しかし著作権侵害ではない。この場合は道義的問題があろう。
鳥獣戯画の蛙の絵をカラーにして紅茶でも持たせ自分のデザインと言うなら盗作とはならない。著作権侵害でもない。道義的問題もない。オリンピックロゴはこちら。

盗作とは、パブリックかどうかによらず、それに依拠し類似すること。
著作権侵害は、著作権のあるもの(パブリックのものは除かれている)に依拠し類似すること。

オリンピックロゴは、盗作とは言えない。
BEACH は盗作。

以前盗作したのだから、今回も盗作したのであろう、
ってのは確定する演繹的帰結でなく確定しない帰納的予測。
今回も盗作と言いたいのなら、前回と今回で同じ盗作とする共通するシステムがあったことを証明する必要がある。(まあ盗作事例が複数あれば,同じ人がデザインした,ってだけで合理的疑いが生まれるのだが.)

著作権の裁判例。
著作権者側がパブリックの部分まで含め自分の権利だと主張して負ける例が多くある。
今回のオリンピックロゴも同じ。よくある典型的で明白な事件だ。)

B-2 盗作
盗作,剽窃.
盗作の要件は,著作権侵害に似る.
依拠と,類似.
ただ,著作権侵害ではパブリック部分が除かれるが,盗作ではパブリック部分は除かれない.

説明しづらいため例.
鳥獣戯画の蛙の絵はパブリックのものであり誰も権利を持っていない。
鳥獣戯画の蛙の絵のコピーを自分のデザインと言うなら盗作。しかし著作権侵害ではない。この場合は道義的問題があろう。

鳥獣戯画の蛙の絵をTシャツに貼り付けた商品をつくることは盗作とは少々言えない(表装状態,つまり物品が異なるので)。著作権侵害でもない。パクリかと言えばパクリだろう。嫌われる程度の理由とはなっても、道義的責任もない。(パクリに明確な定義があるわけではないが、盗作要件から依拠を除きかつ独自性がないものをパクリと呼ぶとしよう。すると、パクリとは、ただ腕が悪いデザイナーだと揶揄するだけの意味になる。例の場合、法的責任も道義的責任もないので、パクリにつき揶揄ならともかく、責任追求までするのは不当となる。)

鳥獣戯画の蛙の絵をTシャツに貼り付けた商品をさらにコピーした商品をつくることは盗作。著作権侵害もありえる。
鳥獣戯画の蛙の絵をカラーにして紅茶でも持たせ自分のデザインと言うなら盗作とはならない。著作権侵害でもない。道義的問題もない。オマージュやパロディの範囲.オリンピックロゴはこちら。
鳥獣戯画の蛙の絵をカラーにして紅茶でも持たせた他人のデザインを自分のデザインと言うなら盗作。著作権侵害もありえる。道義的問題もある。後述BEACHロゴはこちら。

C 不正競争防止法関連
日本
不正競争防止法は、著名表示模倣や周知混同など、不正競争に繋がる明示された特定の行為を禁止とする。
ベルギーロゴは、日本では,誤認混同することもなく,著名といえないから,不正競争防止法は問題とならない.
ベルギー
法未確認.

D 慣習
他と似たデザインをするデザイナーは、パブリックや他のデザイナーから流用しすぎる,独自性が低い,ことを理由として、よいデザイナーとは見なされない。
しかし、よいデザイナーでないことは、違法ではないし、道義的に非難されることではない。

ABCD
総合的にみて、ベルギーロゴにオリンピックロゴと重複する範囲の独占を認めるほどの権利は与えられていない、とするのが妥当だろう。
ベルギーロゴに権利がないなら、オリンピックロゴに権利行使できない。
また、ベルギーロゴ以外に、オリンピックロゴを問題とする法もロゴも見つからない。
さらに、今のところ盗作とも言えない。
つまり、オリンピックロゴに問題はないと言える。

弁護士弁理士も、オリンピックロゴに法的問題があるといっているものは、見る限りいない。
専門家から見れば、この事件は意見が同じになる程度に明らか。
オリンピックロゴが問題となったのはただ、
権利とはなにか、理とはなにか、を知らないものたちが集まり、批判的空気を形成させたから、にすぎない。

デザイン保護は,法律のみを根拠とする.
その問題につき,個人の感情でなく法律で議論するのは当然.
本案件につき法律などどうでも良いという人がいるが,デザイン保護を,法以上の生来的な権利である,とでも思ってるのであろうか?.
そりゃ明確な間違いだ.

・「欲求として著作権/法概念としての著作権
他人に自らの著作物を使用されたくないという欲求それ自体は、前国家的なものとして存在するかもしれない。
しかし、その欲求を強制執行や刑事罰によって実現させる契機となる「法概念としての著作権」は、あくまで法律によって創造されたものである。」
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~ip/_src/20150324/20150324kinoshitamaedappt.pdf
・知的財産権の労働所有説は正しいか
https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/58/6/58_474/_pdf
規則功利主義

デザインとは基本的に、能動的に権利を得るように動かなければ、保護が得られないものだ。著作権は保護をとり忘れたときの蜘蛛の糸程度に考えたほうがよい。
また,法律とは、自分の権利と第三者の権利を妥当に線引するために存在する、1000年以上の集合知だ.法は自分を守り、かつ相手を守るために存在する。
本案件につき,法によらない議論は,個人の自分勝手により他人を不当に貶める結果を生む.これはモンスターペアレントの構造と同じ。
実際,デザイナーを不当に追い詰めている.
今起きている批判は、無法で理不尽な集団による感情的リンチに等しい.

盗作と言える場合であれば、法以外の道義的責任があるといえうるが、今のところ盗作といえない。

「パクリ」扱い恐れロゴデザインの仕事受注を拒否
http://yukan-news.ameba.jp/20150830-83/
リンチのあおり.全く迷惑な話だ.

さらに、理不尽なパクリ批判は、文化も衰退させる。



オリンピックロゴはおいておいて、デザイナーの問題については?.
斬新で新しいデザインを作れない腕のないデザイナーだ、と言われるのは仕方ないことだろう。
腕のないデザイナーによるデザインなどオリンピックロゴに採用してほしくない,って主張する(非難ではない)のは正当

オリンピックロゴの、デザイン自体について。
個人的には、よいデザインとは思わない。
ロゴをデザインする際に、技術、文化の継承としてパブリックのものを採用するのは妥当だが、オリンピックロゴのデザインなのに、デザインの要点として,パブリックから、何故にありふれたフォントのTの文字を選択し採用したのか。
東京のTではあるが,オリンピックという「文化」、東京という「文化」、双方に関係ないじゃないありふれたフォントのTは。
また、パブリックのもの「のみ」からデザインされているように見える。それも色以外は文化継承の無いものから。過去の東京オリンピックロゴのオマージュ部分があるそうだが、かなり薄い。
パブリックをこれほど使いながら文化継承できておらず、さらに独自性も付加できていない。ように見える.
パブリックを引用しながら一般人に文化的背景を理解させることができないロゴ?、腕が悪いと感じられる。
別のアルファベットへの展開が意図されていたことを考慮しても、よいデザインとは思わない。
微妙な色や線の太さに独自性があるのかもしれないが、私には理解できない。他の人はどうかわからないが、多くの人に文化と表現意図が伝わらなければ、よいデザインとは言えないだろう。
ロゴデザインにおいては,「没個性の魅力」,というものが存在する.それを追求したデザインなのかもしれないけれど.

このデザインに魅力を見つけるのは,私には,バーネット・ニューマンの絵画を理解するより,はるかに難しい.

「力を出し切って、真にオリジナルなものができたからこそ、自信を持って世の中に出せる、送り出せるようなものになったと思います」(アートディレクター 佐野研二郎氏、8月5日)
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/08/05/kiji/K20150805010876760.html

・・・え?・・・真にオリジナル,とおもっている,だと?
うむむむむ、わからん。





その後の経過

オリンピックロゴ
オリンピックロゴ,ベルギーロゴに類似?
→オリンピックロゴデザイナー,IOC,JOC 問題無いと返答.
オリンピックロゴデザイナーの対応は,法的には問題なく正当.
オリンピックロゴに関しては問題ないといえる。問題あると言われたなら争ってしかるべき。対応につき,道義的問題は全くない.
→ベルギーロゴデザイナーによるIOCへの訴訟提起
 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2563321.html
→五輪エンブレム、原案を修正 審査委員代表が証言
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015082601001183.html
うーむ.デザインプロセスがどうであったかにより,吉と出るか凶と出るか変わるな.最初は盗作でなかったけど後から盗作したともなりかねん.いや修正は複数人が関与するもんだからいくらなんでも不自然すぎるが.
→五輪エンブレム問題、組織委員会が佐野氏の原案を公開 疑惑を払しょく?
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1508/28/news113.html
五輪エンブレム 組織委員会が原案公開し盗作否定
http://www.nikkansports.com/sports/news/1529683.html
原案公開しない方が良かったのでは・・・
→オリンピックロゴ使用例説明画像をネットより盗用,Copyright記載を意図的に消去.
→東京五輪エンブレム、原案も“そっくり” 組織委は?
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2575760.html
原案オリンピックロゴ公開あり、ヤン氏デザイン提示あり。
原案オリンピックロゴは、ヤン氏デザインロゴと実質同一、かつ依拠も十分疑われる。
原案オリンピックロゴは使用されていないので著作権侵害とはならないが、盗作とみなされて仕方ないだろう。ヤン氏デザインロゴがパブリックとしても.
原案オリンピックロゴ公開を契機として、オリンピックロゴがヤン氏デザインの盗用であると十分に疑われる事態となった。原案オリンピックロゴはオリンピックデザイナー個人のデザインと主張されている.
オリンピックロゴデザイナー個人が関与したかは不明だが,BEACHロゴや使用例説明画像は明確な盗作であり,オリンピックロゴデザイナーは少なくとも監督者である.
オリンピックロゴデザイナー自身による盗作が「必要十分に」疑われる事態となった.
ことこうなったならば、実際に盗作したかどうかは別として、オリンピックロゴとデザイナーを変更するタイミングか。
→「耐えられない限界状況」 佐野氏事務所の声明全文
http://www.asahi.com/articles/ASH917JRTH91UTIL07B.html
事実に遜色のない,誠実な回答と思うよ.
【中継アーカイブ】東京五輪エンブレム問題で組織委員会が会見
http://thepage.jp/detail/20150901-00000005-wordleaf
Tokyo 2020 Olympics logo scrapped amid plagiarism claim
http://www.bbc.com/news/world-asia-34115750
【経緯まとめ】五輪エンブレム、盗作疑惑を改めて否定も現行案取り下げ―海外メディアも話題に
http://www.advertimes.com/20150902/article202397/3/
オリンピックロゴデザイナー意見によりオリンピックロゴ取り下げ。
明確な信用問題となったのでこの結果は妥当か。
しかしこれで、皆は妥当な類似とはなにか、を知る、理解する、機会を失った。

訴訟になれば勝っていた。
私はこのような、社会的圧力により道理が引っ込むような結果は,だいっきらいだ。
訴訟で決着しなかったため、訴訟になっても負けていた、と考えてしまうものは多いだろう。訴訟で決着しなかったことは、今後の社会の損失。この悪影響はかなり長く尾を引くだろう。
理不尽なパクリ魔女狩りつるし上げ祭りが10年は続きそうだ。(こういう連中がいるから,著作権の非親告罪化に反対なんだ・・・.ネットで情報を集められても,それを評価する能力がなければ,間違えるだけだ.理無く理不尽な正義感を振りかざすものは始末におえない.).
ロゴデザイナーは生きてゆけなくなるだろうか。
専門家は,自身が正しいと証明する場を失い,専門家はあてにならないとの印象論がますます増長してゆくだろう.
さらに文化も衰退するだろう。
論理でなく印象で判断する声の大きい連中は,いつだって世の中をめちゃくちゃにする.専門家がいかに情けない姿をさらそうが、それでもこういう手合いよりましだ。こういう手合いは、たいがい相手が間違えたらそれを理由に自分が正しいと思い込む。双方間違っていることがあるのに。
ああ、気持ち悪い世の中に向かって行くなぁ。

→ベルギーロゴデザイナーはIOCが盗作を認めない限り訴訟を取り下げないと。
よしよしまだ啓蒙のチャンスはあるか。
しかしなぜここまで強硬なのだろう?。ベルギーロゴデザイナーはベルギーの著作権法専門家の意見を聞いているようだが、どこに勝因を見いだしているのか?。ベルヌ条約により日本法適用のはずだし、ベルギー法においても敗けのはずだが。和解により一定の利を得るためか、デザイナーのプライドか。それとも例外を見落としているか.
→五輪エンブレム:袋など使用停止提訴へ…リエージュ劇場側
http://mainichi.jp/select/news/20150904k0000m040038000c.html
「訴訟は、半年前後で判決が出るとみられる。」
使用差し止め訴訟ならとりあえずそんなところか.
仮差し止め命令は出るかもしらん.
めげずに,その後の著作権侵害訴訟決着まで,きちんとつなげてほしいものよ.
これに関しては,きちんと判例を作っておくことが重要だ.JOCはともかく,IOCは理解していると思うけど.
→損害賠償は求めず=五輪エンブレム問題で-アサヒビール社長
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201509/2015090300734&g=eco
うむう太っ腹な行動はおおきな宣伝効果を生むであろう.
浅草に巨大な黄金色のアレをもつ会社はさすが・・の穴が大きい(失礼)
→東京五輪エンブレム問題、劇場が訴訟取り下げもデザイナーは継続の意向
http://www.afpbb.com/articles/-/3060952
・・・うーん,デザイナーの意図が読めないな・・・どこに勝因を見出しているのか・・・
→?→?


BEACHロゴ
オリンピックロゴデザイナー事務所によるサントリートートバックデザイン盗用問題.
→バックデザインのうち,BEACHデザインに関し,BEACHデザイナーによる問題提起
→オリンピックロゴデザイナー謝罪,BEACHデザイントートバック取り下げ
BEACHロゴに関しては言い訳できようがない問題があるため謝罪して和解の努力をしてしかるべき.
→?


BITOロゴ
群馬・太田市に現在建設中の「おおたBITO太田市美術館・図書館」のロゴマーク,アメリカデザイナーによる訴訟提起検討
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00300675.html
BITOロゴに関しては…調査しなければわからないが,パブリックといえないであろう線と丸の比率が類似しており、かつ,BITOロゴには独自性を示すデザインの要部が存在しない,ようだ。これは微妙。どう対応するのだろう?.これはロゴ変更したほうが良いのでは。
→佐野氏ロゴ:太田市長「別物とわかるので、そのまま使用」
http://mainichi.jp/select/news/20150901k0000m040025000c.html
太田市長「素人ながら別物とよくわかるので、そのまま使用していきたい」
素人でもわかる,ではなく,素人だからわかるかわからないかすら理解していない,というのが正解.
類似かどうかの判断は,前提によって手法すら変わる.一般人から見て類似していれば類似,という場合もあれば,パブリックからみて類似していれば類似,や,権利部分からみて類似していれば類似,など,そうでない場合はいくらでもある.市長は視点を主観的に一般化しすぎており,それを自覚していないようだ.(因みに需要者目線で全体の印象から類比を判断するのは商標の類比判断手法。著作権の類比判断手法はそうではない。本案件では著作権上の翻案の範囲に入ると疑われる。)
見ただけで別物とわかる,というのは,見ただけで同じとわかる,と同じぐらい,幼い意見.前例と理論に従わねばならんのに主観だけとは,第三者を尊重しようという意志,つまり法的感覚,がないのかな.行政の長として最も必要な感覚の一つだと思うのだが.
「市はロゴを使った商品の販売に備えた商標登録の調査を9月中に済ませる意向。
ディバイン氏の作品との類似性に関する調査や佐野氏側から事情を聴く予定はないという。」
このBITOロゴは,著作権上のリスクがかなり疑われることが既に明白になっている.
それに関し「ディバイン氏の作品との類似性に関する調査」をしないという判断は,明らかな間違い.
BITOロゴは,オリンピックロゴより,はるかに危険.ディバイン氏の作品との類似に関する調査は,絶対にしなければならない.
提訴検討と連絡を受けており,その上で調査しないなら,刑事罰が十分ありえるよ?
市長には,助言してくれる人も,判断できる人も,いないのかな・・・
→「良いデザインだから変えない」太田市は佐野作品登録へ
http://www.asahi.com/articles/ASH915GVPH91UHNB012.html
「清水市長は「とても良いデザインなので、変えない」と述べ・・・」
いやそういう問題では.例えば,シャネルのロゴの類似ロゴを作っておいて,類似ロゴは良いデザインだから変えない,ということを理由にしたら問題がなくなるとでも?.問題の論点が全くずれている.
「良いデザインなので変えたくない,これを使えるようにできる限りのことをする」,
ならわかるのだが.危なそうな創作者とは交渉すればよいのだし.
報道が市長の発言を略したのか?いや市長は調査しないといっている.するとその通り発言したのか・・・
→佐野氏ロゴ 市民判断へ 太田の公共施設 市「使用継続」から転換
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150906/CK2015090602000160.html
佐野氏考案ロゴ、市民意見募り採用判断へ 群馬・太田市
http://www.asahi.com/articles/ASH9763HQH97UHNB00Z.html
記事が明確でないが、もし、市民「判断」なら、最悪の選択.これはただの,市長から市民への責任転嫁
もしそうなら、今回の件で,最も妥当でない対応だ.
市民がOKを出したのだから,専門家が何を言おうが,裁判所が何を言おうが,こちらの責任ではない,とするのか?.
いつから日本は法制定されていない直接民主制の国になった?.それは1500年以上前に終わってるだろうに.
こーゆーもんは,専門家に鑑定を依頼して調査の責任を取らせ,決断の責任は自分が取る,ってのが妥当ってもんだ.
その際、どれがよいか市民意見をあおぐのは良い(あおぐ前にロゴ候補すべてを権利確保しておく必要あり時間と金がかかるが(いやグレースピリオド使えるか?時間足りないか?)(リアルタイムの透明化実施には金かかるから、透明化を前提とすべき、と言う意見には個人的には疑問がある。事後の透明化ならともかく。リアルタイムの透明化は医療、政治などに限定すべきと思うがなぁ。オリンピックロゴならともかく、ただのロゴ選定にリアルタイムの透明化が必須とは思わない。限られた資本は集中しなきゃ。(もし、オリンピックロゴ等の選定においてリアルタイム透明化を最初からしていたら、今度は無駄なコストをかけた、と非難されていたのではないかな?いやどうだろうなぁ。))),しかし,必ず専門家の判断をあおげ.そうでないなら責任転嫁にすぎん.
リスクコントロールはどこに?
→?


東山動物園ロゴ
類似の指摘.
議論するだにバカバカしいなぜこんなものを問題視するのか.
→東山動植物園「調査中」 佐野氏事務所制作のマーク
http://www.asahi.com/articles/ASH91544VH91OIPE01L.html
現在の証拠を根拠としてこれが変更される事態になるなら、もう文化は終わりだ。
→佐野氏デザインの動物園マーク「問題なし」報告
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150907-OYT1T50096.html
→名古屋の東山動植物園はエンブレム使用継続 佐野研二郎氏作成のマーク 「問題ないし親しまれている」と河村市長
http://www.sankei.com/west/news/150911/wst1509110094-n1.html
「園を管理する市によると、1987年から使われている中米コスタリカの国立博物館のマークと似ているとの指摘が外部からあったが、同博物館から11日に「いかなる法的措置も取るつもりはない」と連絡があった。」
「市などによると、マークを提案したコンサルタント会社も「類似性も同一性もないと判断した」と回答。佐野氏の事務所も模倣を否定している。」
//








妥当と思う意見
・東京オリンピックエンブレム問題に制作者がコメントーー弁護士、研究者の見解は? http://legalnews.jp/2015/08/02/tokyo_olympic_emblem/ 
・東京五輪エンブレム 制作者 盗用否定
・「全く似ていない」五輪エンブレムデザイナーが断言する根拠 知的財産権問題
・「Basketball Law(バスケットボール法)入門     ~バスケットボール選手の国際移籍を例に~」
「紛争の数が多いこと自体は歓迎すべきことではない~。しかし、事例の積み重ねが少ないと、実際の事例を通じた将来のルール形成という効果は期待できません。そして何よりも~理不尽な「力関係」がまかり通っているがゆえに~だとしたら、~」
・「五輪エンブレム問題」はなぜここまでこじれたのか? 法的論点を整理する | THE PAGE http://thepage.jp/detail/20150815-00000003-wordleaf
・東京オリンピックエンブレム問題と著作権法
http://w-tokyosaito.cocolog-nifty.com/traffic_accident/2015/08/post-c649.html
・ロゴマークを著作権で保護するには
http://inext-tm.com/blog/info20150511/
・リオオリンピックにおける同様のロゴ事件
http://www.thelogofactory.com/logo_blog/index.php/rio-201-olympic-logo/
・中村 勇吾「佐野さんの件、取材メールを頂いて、色々な細かい質問に個人的所感を勢いよくコメントしてしまいました。以下超要訳です。~」
https://m.facebook.com/yugo.nakamura.92/posts/10153025360261806
・佐野氏盗作疑惑で座談会「取り下げ再提案再選考を」
http://www.nikkansports.com/general/news/1528056.html
・五輪エンブレム“盗作問題”とファッションデザイン
http://www.asahi.com/and_w/fashion/SDI2015081401601.html
・ついに白紙撤回。五輪エンブレムはなぜ炎上したか?
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/090100076/?rt=nocnt
「そこに止めをさしたのが、今回の公募の審査委員長を務めた永井一正氏が出席した最終デザイン案完成までのプロセスを解説した会見だ。ベルギーのデザインを模倣したわけではないことを証明するつもりで、佐野氏が応募した当初案の公開に踏み切ったが、これが裏目に出た。
 そもそも元の佐野氏の案は、商標登録されているほかのロゴに似る可能性があるとして変更が加えられた経緯のあるものだ。この状況で、そもそもそんなリスクの高い元のデザイン案をなぜ公表するのか疑問に残る。
 結果的に当初の案が、ヤン・チヒョルト氏の展示会のポスターにある文字に似ているとの指摘を受ける。
 そしてさらなる決定打となったのは、本来は公表されるはずのなかった「カンプ」と呼ばれる、デザインの展開事例案が公開されてしまったことだろう。こうしたカンプはあくまで内部資料扱いで、一般的に外部に公表されることはない。そのため最も権利意識の薄い部分である。そこの油断に落とし穴があった。佐野氏のカンプは、ウエブから無断で画像を使いそれを改変して使ってしまっていたことが、後になって発覚したのだ。結果的に本来なら問題のなかったはずのオリンピックエンブレムにまで泥を塗ってしまうことになった。」
・疑惑の五輪エンブレムは「著作権侵害」ではない?
http://sp.mainichi.jp/premier/business/entry/index.html?id=20150904biz00m010047000c
・よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
・商標調査は「ちょろい」のか?
http://blog.goo.ne.jp/aigipattm
・五輪エンブレム問題――「パクリ」批判は正しいのか?田中辰雄 / 経済学
http://synodos.jp/info/15406


妥当と思いつつ問題もあると思う意見
・富山県、ポスター審査に画像検索 エンブレム撤回で
http://www.47news.jp/CN/201509/CN2015090301001589.html
世界の億単位以上の画像等から類似を確認するとなると調査に何百億必要になるかわからん、ということをおいておけるなら、妥当とは思う.
しかし加えて,きちんと類似判定ができる人が判定するようなシステムであることが重要.
なんとなく似ている即排除では,文化を損ねるし,
似ていないに違いない即OKでは,侵害回避できない.
画像検索も,専門家に任せる必要がある.
・類似のデザインを検索しマッチ率も出してくれる画像検索サービス「RevIMG」 http://mbdb.jp/web/revimg.html 
商標権上の類似と,著作権上の類似と,盗作の類似と,パクリの類似は,その判断基準が異なる.
どの類似のマッチ率?.
マッチ率算定のアルゴリズムが適切でなければ,あまり意味はない.スクリーニングとしては使えるかもしれないけど侵害回避目的にはあまり使えない。
侵害回避にこれ使えばいいじゃない、とは、実務を理解していないものの適当な意見だな。そうしても適切な問題解決にならん。そう見えるだけ。

まあぶっちゃけたところ、著作権侵害回避の完全な調査など、現実的にまず不可能なのよ。
よって、パクリつるし上げをするものがいる状況では、パクリつるし上げを回避することはできん。
パクリつるし上げするものは、つるし上げをやめて、デザイン使用者に類似情報を提供するに行動をとどめればよいのよ。
理不尽な、類似即非難なんてバカなことせずにね。


妥当と思わない意見
・東京オリンピック・エンブレムはもう無理筋 - INSIGHT NOW!プロフェッショナル http://www.insightnow.jp/article/8591 
自分の意見を主張するために訴訟に踏み込むことを恥と考える思考こそ、
国際感覚がないという。
コストがかかるから変えろ,とは,自分の決定に信念のないものの意見.デザインに誇りがあるなら,コストがかかろうが,きちんと争うべきだろう.
・佐野研二郎氏の五輪エンブレム 大学教授の武田邦彦氏が痛烈に批判 http://news.livedoor.com/article/detail/10440669/
「似ている」とはなにか?新しいとはどの範囲までを言うのか?を、もう少し深く考えなければならない。考えが浅すぎる。この浅さ、何かの専門家の意見とは思えない。
ほか多数
・腐り切った東京五輪組織委という病巣 エンブレム撤回でも責任全否定、佐野氏擁護の闇
http://biz-journal.jp/2015/09/post_11448.html
ここまでひどいと,どこをどう突っ込んだものか.
こーゆー人たちはなんで陰謀論が好きなんだろうねぇ.陰謀がありえないとはいわんが,なぜ妥当な検討せずに陰謀に飛びつくのか理解できん.ブラック企業相手にしすぎて陰謀論しか理解できなくなったのかな?.


まああれだな。
「何となく主観的に悪い気がするから追い詰めてやろう」、という思考の持ち主は社会の害悪にしかならないから略。
世の中からハラスメントやいじめがなくならない理由がわかろうってものよ。

主観的正しさや善意は,妥当な正しさとは限らない.
理由が主観的正しさや善意のみであるならば,絶対に,他を非難してはならない.

何となく、で生きるのは自由と言うもので正当。
何となく、で非難し他人をおとしめるのは不当。


「納得出来ない!」
こと「のみ」を理由に怒る人が多いようだが,
説明側がどんなに適切な説明をしようと,聞く側に言葉を理解するだけの基礎知識がなければ,納得できようがない.
納得出来ない責任は,基本的には本人にある.例外的に相手にある.
PL法以降,説明責任が流行って以降,こんなことすら忘れ去られてしまった.
本来,PL法の責任や,説明責任とは,例外的に適用されるものなのに,経験から「のみ」学ぶためその前提を理解できず,無条件で基本的に適用しようとする.
自分の無知を放置する人は,一般論やその人の主観的常識でのみしか判断しようとしない人は、そりゃ永遠に何も納得できるようにはならんだろうさ.

「発信者によって “情報が加工されること” を考える -(2)知識、思い込み-」
http://homepage3.nifty.com/salon-ajioka/column.htm

自分はこれをわからない,ということを理解すること.
これが最低限の知だ.
それを知り初めて,知る意味,学ぶ意味を,知ることができる.
これは,自分の運命を自分で握ることができるようになるための、第一歩だ.

最近は本当にこんなことも理解していないものが増えた(いや,目立つようになった,もしくは目に入るようになっただけか?)
詐欺や偽造があふれている社会であれば,このような眼は自然に養われる.最近,無知に対し過保護すぎるんじゃない?.
http://kz31.blogspot.jp/2013/11/1km-1km-httpinternet.html

無知でも生きられるよう最低限保護するのはよい。世のすべてを知るものなどいない。しかし過剰保護は害悪だ。無知は不利にならなければならない。
無知過保護社会では,取られないようにしようという動機が生まれなくなり,無知が増え,問題は妥当に解決しなくなる.
自分で解決しようとしなくなるのに加え、他人も助けてくれなくなる。
現在の専門家批判はその一例であろう.専門家は,無知の有利さに辟易し,もう無知に発言・説明するのは嫌になってきている.そして問題は表面に出ず,改善されず,解決しなくなる.
無知を有利にすれば、悪いほうへ悪いほうへと落ち続ける。


擁護派と否定派との意見。
二元論しか理解しないもの、または,個人の理解のために単純化された二元論を、再び自動的に拡張でき議論の根拠にできる,と思っているもの、と話をするのは、いつだって時間の無駄だ。

不可逆圧縮したものは、もとには戻らない。
細分化するとわからなくなるが,一般化すると間違える.
適度な細分化が現実対応だが,その閾値は受け手に依存することになる.
無知を許容しすぎる世の中では,一般化するものばかりが増え,知は失われる.


専門家は上から目線でムカつくとの意見。
専門家による上から目線とは,「理による思考をしない、下にいると感じるもの」による被害妄想。理で語る人は上から目線等々の概念を持っていない。理に上も下も無いから。そして専門家は理で語る(理で語らない人も一部いるがこのテーマでは除外してよいだろう。)
上下が固定されている状況では、上から目線批判も妥当であるときもあるだろう。しかし今回の件では,上を理解できえ、上下意識は問題とならなくなり得た。
学ぶことは誰にでもできる。学びもせずに自分を無知な弱者に保ちつつ、弱者であることをかさにきて人を非難するものは、控えめにいっても卑怯者だ。すくなくとも,それをわからないと学ぶことはできたはずだ.
またよしんばムカつく上目線があったとしても、反論されること自体を嫌い感覚で理なく人を「非難」する連中よりよっぽどましだ。

わからないでもいい。
しかし、わからないなら非難までするな。
対等にみられたいなら学べ。